漢方って正直気休めだよね。

サロンも10店舗余りになり、順調な成長をしていました。私は漢方薬の力を借りて、もっと早くお客様をきれいにできないかと考え、薬剤師達と一緒に陰陽五行説を半年に渡り勉強して漢方薬局をオープンしましたしかしオープンしてみると、サロンのお客様達は喜んでくれませんでした。健康食品よりも漢方薬の方が安いのですが、お客様は「自分は病気ではないから、高くても健康食品がいい」とおつしやるのです。お客様のことをわかつているつもりでいた私は愕然としました。私はお客様の喜ぶことをしているつもりでいたのに、いつの間にか自分の考えをお客様に押し付けようとしていたのかもしれません。1年間続けても売り上げは月150万円程度。今度は経営者としての自信をすつかりなくし、生駒山にある断食道場に籠もりました。そこに追い打ちをかけるように、薬局オリジナルの薬湯に虫が湧いたと連絡が入り、腹を括り閉店を決めました。この時、私はЮ店舗余りのサロンの成功で天狗になり、どんな商売でも自分ならできると思い違いをしていたのかもしれません。

 

 

この失敗で、自分ができることはとても狭く、現時点ではサロンを経営するのが精一杯だと知りました。それ以降、私は他の仕事には見向きもせず、エステテイック一本でやつてきました色々ありましたが、それでも関西に12店舗を開き、サロンの売り上げは順調で、私達家族も平和に暮らしていました。そんな時、阪神淡路大震災が起こりました。九五年一月一七日のことです。主人が海外出張中であり、当時四歳と六歳の娘二人を抱いてどうしていいものか困惑していると、社員達から電話が次々と入りました。電話はこちらから掛けることはできませんでしたが、相手からの電話は通じていました。自宅を本部としてサロンの被害状況の報告を受け、指示を出しました。お客様は大丈夫なのか、社員は無事なのか、安否の確認が続きました。この頃は社員数が約60人だったと思います。私達の三宮サロンが大きく被害に遭い、お客様のカルテを持ち出すことがやっとでした。私は社員達を避難所から探し出し、自宅や京都店の近所に住まわせました。お客様達に連絡し、現金が必要な方にはお預かりしている代金を返金できることをお知らせしました。しかし返金を希望された方はたったの3名。「再オープンを待っています。頑張って下さい」と多くの方が再開を望んで下さり、優しい言葉に励まされました。こんな時に病気だなんて言っていられません。その時、ぼんやりした頭がフル回転しめ、私は病気から脱出できたのです。38歳になつていました。お客様がサロンの再開を望んでいるのなら、どこよりも早くサロンを再開しようと思い、五月八日にダンデイハウス神戸店を再開しました。その時点でも、神戸店の前の道路にはビルが横たわっていました。