出張にも飽きてきたぞ

夫が日本語学校に通い、少しずつサロンでの仕事も手伝ってくれるようになった頃、私達は娘二人を授かりました。私は出産の前日までサロンで働き、出産後3週間で仕事に復帰しました。漏れ出したお乳を慌てて機械室で絞ったこともあります。長女を出産後、1年もしないうちに二人目を妊娠。その時も普通どおりに働き、出産後2週間で仕事に復帰しました。子育ては、仕事よりずっと難しいと感じています。自分の子供でもよく分からなくて、「宇宙人みたいだ」などと思ってしまいます。親に迷惑をかけるくらいならいいけれど、人様には迷惑をかけないで、できたら人様にお役に立てる人として生きていって欲しいと思っています。さて、出産から仕事と子育てに追われる2年が過ぎたある日、梅田の地下街を歩いていて、ふと喫茶店に入りたくなりました。コーヒーを一口飲んで、「ああ、私は子供を産んで初めて喫茶店でコーヒーが飲めた」とほっとしたら涙が溢れてきました。結婚後初めての道草でした。体調が思わしくなくなったのはその頃からです。

 

ある日、東京出張のために大阪駅から新幹線に乗っていると、まるでジェットコースターに乗っているような気分になって真っ青になり、京都駅で降りてしまいました。それからは電車に乗っても、たった一駅でも怖くて死にそうになり、車を運転すると信号で止まったけで怖くなり、車から逃げ出したくなるのです。病院で様々な診療科に行き、最後に心療内科に回され、不安神経症という病名がつけられ、行動療法という治療が始まりました。まず、新幹線に乗れるようになりたかったので、そのために駅に行って走る電車を見ることから始めました。遠くから走る電車を見るだけでも辛いと感じる毎日が続きました。病気を社員や取引先には知られたくなくて、子育てを理由にして会社へ行く日を週に1、2回にしました。仕事は社員と夫が頑張ってくれたので、業績を落とすことはありませんでした。その間もじっとはしていられない性分でしたので、治療にもなって私にできること、例えば断食、バレエ、書道、洋裁、ガーデニングなどありとあらゆることを試みました。約7年間この治療は続き、あまりの体調の悪さに、人生に絶望的になったこともありましたが、用心しながらでも、私は完全に病気を克服できたのではないかと思っています。